徳原自治会がある島根県益田市益田地区は中世時代の益田氏の城下町で、
中世の雰囲気が色濃く残る、日本遺産構成文化財が多くある街です。

古傳によれば、この机崎神社は奈良時代、聖武天皇の天平年間(1250年前)頃背後の稲積山に五穀産業開運の祖神である大国主大神、宇迎魂大神、猿田彦大神を御祭神として奉斎したに始まる。
平安時代延長三年(925年)稲虫が大発生して、二年に亘り五穀に大きな被害を与え、住民の生活が困窮に瀕した時、一心なる祈願の結果神助を得、さしもの悪虫も消滅し去ったのである。歓喜した住民は御神徳に感謝し、稲積山に宮柱を新たに造営して、稲積神社と呼称して盛んな祭祀を営んだ。
鎌倉時代初期建久三年(1192年)益田兼高が七尾城主となるや、稲積の山頂を削平し、更に修復を加え社地を献納する等して神威いよいよ増した。その後、南北朝時代初期興国二年(1341年)の争乱に石見の国司日野邦光が、この稲積山頂に砦を築いて戦った。この時山頂の神社をこの地に遷座し、机崎神社と称するようになった。
正保三年(1648年)旅人の失火によって、本殿と拝殿を消失したが、辛うじて御神体を奉遷し、仮宮を建てて祀った。かくて、明和八年(1771年)本殿及び舞殿を造営し、拝殿と鳥居は文化八年(1811年)再建されたのであるが、昭和38年本殿を大修復し、更に昭和52年に創建1225年祭を機に拝殿を新改装して今日に至っている。
現在も五穀産業開運の守護神として、広く崇敬され、その地域は当地方はもとより遠く山口県まで及んでおり、毎年の例祭の外、植付祭、いの子祭の古傳祭が今も行われている。

机崎神社

下の写真集は、平成29年10月に行われた例大祭の様子です。

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